2010.10.25

仲間。

今日からこのブログに参加させていただくことになりました、MISAです。よろしくお願いいたします。
先日友達の結婚式で歌った木村カエラのバタフライを、聴いていたら友達のことを思い出したので、
ブログに書かせて頂きます。長いです、すみません。
高校のバレー部の仲間。同級生はたったの8人。
2年の夏、先輩たちが引退してから3年春になるまで私たちは
たった8人で部活をしてきました。1年生が一人も入部しなかったからです。
ご存知の通りバレーボールは6人でプレイをします。
ほんと何をするにもギリギリの状態。ボール拾いもいません。
自分で打った球は自分で拾いに行きます。なんとか効率よく、ボールの運搬をして、
練習を続けていました。いろんな工夫をして、助け合って、補い合って、協力し合って。。。
練習試合や大会など他校へ行くときの足は、顧問の先生のワゴンでした。
たぶん定員オーバーで、お尻の位置を前後にをずらしてきつきつで座りました。
その上ボールやボールかご、救急バッグにシューズ、サポーターに着替えなど、
大荷物があり、毎回うまく配置を考えてすべての荷物を詰め込みました。
試合に行っても、圧倒的に少ないベンチ、そして応援団の数。
いい意味でコンパクトだけど、大きい会場での大会ともなると、
ちょっぴり寂しい感じになり、時には同情されることもありました。
そんな環境でしたが、私たちの代は、先輩たちの念願でもあった群馬県でベスト8を
8年ぶりくらいに、勝ち取ることが出来ました!!
むしろそのような恵まれた環境ではなかったからこそ、手に入れることが出来たのかもしれません。
8人しかいないのに一人一人個性が強く、最初はうまくまとまらなかったのですが、
8人しかいないからこそ一人一人がしっかりしなければという思いに変っていけたのかなと、
思います。
3年生になって、やっと後輩に恵まれました。
でも、みんな自分で球を拾いに行く癖がついていて、誰一人傲慢な先輩ではなかったです。
さて、私たちは無事に卒業し、それぞれ進学したり就職したり、県外に出た子もいたり、
あれだけ年中一緒にいた人たちが、それぞれの道を歩き始めました。
でも、またすぐに皆で集まる機会が訪れました。その理由は幸せなものではありませんでした。
顧問の先生の入院。
潰瘍性大腸炎という難病に侵された先生へのお見舞いにみんなで行くようになりました。
遠いところでは水道橋にある東大病院へ行きました。
その時先生は既にやせ細り、視力もほとんどなくなっていました。
一人ひとりの近況報告を、先生らしくしっかり聞いて下さいました。
それなりに肉付きがあった少し前の先生の姿はもうそこにはありませんでした。
聞きとるのもやっとなくらいのとってもか細い声で、一人一人にコメントしてくれました。
私はいつもの私らしく、ちょっとふざけて面白いことを言って、先生に笑ってもらえたのを今でも覚えています。
その後、先生は地元の病院に転院しました。
そして、その年の11月、永眠されました。36歳でした。
結局死因は多臓器不全ということでした。
私たちはその時20,21歳。先生の早すぎる死に悲しみました。
そして、部活中に散々先生を困らせたり、悩ませたりしたことを、
後悔しました。私たちがもっと素直で、先生を苦しめなかったら、
こんなに早くに逝くことはなかったのではないかと・・・・・。
それから私たちはお正月やお盆などの時には、みんなで集まって、
先生が大好きだったコーラを注文し、上座において、乾杯をしています
それからそれぞれの近況報告や、懐かしい話などをして、食事やトークを楽しんでいます。
そんなこんなの私たち8人も、みないいお年頃になってきました。
8人中3人だけ結婚しました。つい最近、結婚したM美ちゃんの余興で、
木村カエラのバタフライを手作りの蝶を作って、歌いました。
私の時の余興も、愛情たっぷりで、こいつらやっぱり最高だぜぃって思いました。
みんな自分のことのように嬉しくて、笑って泣いて喜びました。
ただの部活仲間を超えた、彼女たちに出会えたことは、すごい財産です。
先生も自分の死を通してその絆を深めてくださった恩人なのだと思います。
どんなにおばさんになってもずっと大切にしていきたい仲間だなって思いました。
秋の夜長、みなさんもご友人や大切な仲間の方と、熱く語ってみてはいかがでしょうか。
初回から長いブログで恐縮です。最後まで読んでいただきましてありがとうございました。
MISA

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